地名をキーワードにして地域の歴史を掘り起こすページです

岡山県内の木地屋地名

木地屋

木地師とは

 木地師は轆轤(ろくろ)という工具を使用し、椀・盆など円形の木地を作る工人のことをいいます。
 木地師のことを轆轤師、轆轤ひき、木地ひきなどともいいます。

 轆轤は、相手が回転軸に革ひもを巻いて手で引いて回転させながら鑿で整形するのが古い手法です。

 木地師の一部は、定住する者もあったが、大部分は良材を求めて深山に入って集落生活を送り、良材が尽きると他に移動しました。

 明治初期までは、全国で朝廷や幕府の許可を得た木地師達が、良質な材木を求めて20年から30年位で移住したといわれています。

木地屋の歴史

『国史大辞典』から引用します。

(前略)轆轤師は宮廷轆轤司の出で諸国の権門勢家に招かれたが、藤原実秀なる伝承の人が近江国滋賀郡葛川村貫井、大和国吉野郡川上村高原を経、近江国愛智郡小椋(おぐら)荘を以て本所として定着し、はじめて諸国の木地師支配制度を確立したという。(中略)
小椋荘内での良材の伐尽に伴い、木地師たちはようやく諸国散在の要を認め、本所から御墨付・往来手形・宗門手形の下付を受け、諸国へ移動した。(中略)小椋荘において実秀の没後、君ヶ畑(きみがはた)・大君ヶ畑(おうじがはた)・蛭谷(ひるたに)三ヵ村に分流し、諸国木地師の支配本所を争った。大君ヶ畑は支配本所を樹立する前に他に敗れたが、(中略)(君ヶ畑と蛭谷は)それぞれ氏子狩(うじこかり)を開始し、氏子村の保護、同族婚姻の仲介を行い、烏帽子着立会・祖社修覆の寄進奉加を求めた。
木地材料は、山毛欅(ぶな、北方産)・欅・槻・椈(ぶな)・板屋楓・水目・椋・松・栗・魚梁瀬(やなせ)杉・栃・桂・槐樹(えんじゅ)・屋久杉と、緯度による植物地理学上の変化に伴いおのおのの樹種が用いられた。(後略)

 としています。
 
 柳田国男監修『民俗学辞典』には「椀」について、

日本では食器の中心が木椀であった時代が非常に永かった。村々に円い滑らかな木椀を普及させた功績の一班は、中世以来ろくろを携えて山から山へ渡りあるいた木地屋が負うべきであろう。

 と書いています。

 木椀や杓子は暮らしの必需品ですので安定した需要があり、それらを供給したのは木地師でした。その期間は中世から数百年に渡っています。

 木地屋集落の様子が分かるものに「氏子駈(狩)帳(うじこかりちょう)」があります。
 
 「氏子駈帳」は本社から係員が各集落を巡回し、本社の修理費などを集金した控え帳です。
 集落名、奉賀金、名前などが記入されています。

 木地師研究の第一人者である杉本寿氏の論文『木地師支配制度の研究』から岡山・鳥取両県の集落名の一部を抜粋します。

作州西々条郡新小屋(現鏡野町)
くらみ山ねき小や(現津山市倉見)
因州智頭郡安永木地屋(現鳥取県智頭町)
智頭郡川奥山新小屋(同上)
因州奥山新田杓子(現地名不明)
湯原村木地挽(現真庭市)
作州勝北郡梶並中谷右手山(現美作市梶並)
作州西々条郡上斎原山杉小屋(現鏡野町上斎原)
作州西々条郡遠藤山木地屋(同上)
作州西々条郡富村ふる(古)小屋(現鏡野町)

 集落名には右手山のような山名もありますが、「木地屋」、「小屋」が代表的です。

 「氏子駈帳」には岡山県は美作地方のみで、県南の備前、備中はありません。これは集落が小規模であることと、範囲が広いため巡回する経費のほうが高くつくことに依るものと思われます。

岡山県内の木地屋地名

画像の説明

 調査したのは図の黄色の地域で、平成の合併前の46市町村です。
 地名は『岡山地名大辞典』(角川書店)の「小字一覧」から採取しました。

 地名で最も多いのは「小屋(古屋)」で、次いで「木地」と「六郎(轆轤の当て字)」です。

 木地屋地名が多いのは、木を求めて移動した跡に地名が残ったためと思われます。

 県北は木が多い上、刃物の鉄が入手しやすかったのでその集落が多いのは当然ですが、県内各地に分布しています。

新見市
 馬塚(六郎谷)
 唐松(六郎谷)
 土橋(六郎)
 赤馬(小屋ノ谷)
 菅生(小屋谷)
 花見(六郎原)
 千屋(古屋)

高梁市 
 仁賀(小屋ノ迫・古屋ヶ谷)
 上大竹(小屋ノ谷)
 高山市(小屋谷・小屋谷平)
 高山(古屋谷)

井原市
 東水砂(小屋谷)
 西水砂(小屋ノ谷)
 烏頭(古屋)
 青野町(六郎迫)

笠岡市
 用之江(小屋ヶ谷)
 東大戸(小屋)

新庄村
 戸嶋(六郎谷・大六郎谷・小六郎谷)
 鍛冶屋(六郎谷・六郎ヶ市・六郎河内・木地屋・木地平・木地原・小屋谷
 ・小屋ノ谷)
真庭市  
 下和(古屋ノ谷)
 下長田(コヤノタニ)
 東茅部(小屋谷)
 西茅部(木地屋)
 本茅部(木地屋敷)
 美甘(木地屋敷・六郎峪)
 鉄山(小屋ノ谷)
 久世(六呂ヤ)
 草加部(小屋ノ谷)
 目木(小屋谷)
 樫西(小家谷)
 上中津井(六郎原)
 下呰部(小屋ノ谷)
 上呰部(小屋谷・小屋床)

岡山市
 建部町下神目(小屋ヶ谷)
 建部町和田南(小屋ヶ谷尻・小屋ハナ・小屋谷オンジ)
 御津高津(古屋)
 御津中泉(小屋ヶ嵶)
 御津芳谷(六郎下)
 御津国ヶ原(小屋谷)
 御津新庄(小屋谷)
 瀬戸町南方(小屋ヶ谷)
 菅野(小屋ヶ谷)
 上足守(小屋ヶ谷)
 吉村(南小屋ヶ谷・北小屋ヶ谷)
 間倉(小屋谷)
 真星(小屋ノ尾)

鏡野町
 上斎原(キジノ子谷・向古屋)
 岩屋(六郎坂)
 貞永寺(六郎谷)
 富西谷(古小屋)

津山市
 坪井上(小屋谷・六郎谷)
 宮部上(小屋ヶ谷)

美咲町
 王子(小屋ノクボ)
 吉ヶ原(小屋ノクボ)
 大戸下(六郎谷)
 塚角(六郎谷)

美作市
 青野(六郎丸)
 古町(小屋ノ谷)
 川戸(小屋ノ谷)
 壬生(小屋ノ谷)
 右手(木地山)
 福本(小屋谷)
 上山(小屋坂)

勝央町
 高取(六郎阿丙)

和気町
 奥塩田(六郎谷)
 吉田(小屋ノ谷)
 清水(小屋ノ谷・六郎)

備前市
 金谷(小屋ノ谷)
 神根本(小屋ノ奥)
 御所ヶ平(小屋谷)
 多麻(小屋ノ谷)
 加賀美(小屋ノ谷)
 歯朶ヶ谷(小屋ノ谷)
 都留岐(小屋ノ成・小屋ノ谷)
 福田(小屋谷)
 佐山(小屋谷)
 伊部(奥小屋谷)
 久々井(小屋ヶ谷)
 閑谷(小屋ノ谷)
 三石(六郎谷)

赤磐市
 中山(小屋ノ谷)
 石上(小屋窪)
 中勢実(古屋谷)
 暮田(小屋ノ谷)
 坂辺(小屋ヶ谷)
 惣分(小屋谷)
 沢原(古屋ノ谷)

瀬戸内市
 長船町東須恵(小屋ノ谷)
 邑久町福谷(小屋谷)
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木地屋と山の神

 猟師、木地師、樵夫、炭焼など山で仕事をする人は山の神を祭りました。
 山の神は地方によって男神であったり女神であったりするようです。

 木地師が祭る山の神は夫婦神といわれています(柳田国男監修『民俗学辞典』)。

 県内の地名に「女夫岩」とか「女男岩」が点在しています。
 その岩は二つ並べているのか一つの岩なのか分かりませんが、名称から考えて信仰の対象にしたのであろうと思います。

 調べてみますと「小屋ノ谷」などの木地屋地名の周辺にあるものがかなりあります。
 このことから「女夫岩」などは木地師が祭る「山の神」と推測できます。

 因みに瀬戸内市長船町東須恵の「女夫岩」は「小屋ノ谷」の真向かいにあるのが参考になります。

 岡山県内の木地屋地名の周辺にある女夫岩などの地名は次の通りです。

 高梁市川上町仁賀(小屋ノ迫・古屋ヶ谷)(女夫岩・夫婦岩) 
 井原市東水砂(小屋谷)(女男岩)
 笠岡市東大戸(小屋)(婦夫岩)
 真庭市草加部(小屋ノ谷)(女夫岩)
 真庭市下和(古屋ノ谷)(女夫岩)
 岡山市北区建部町和田南(小屋ヶ谷尻・小屋ハナ・小屋谷
             オンジ)(女夫岩) 
 岡山市北区御津高野(古屋)(女夫岩)
 岡山市北区真星(小屋ノ尾)(女夫岩)
 鏡野町富西谷(古小屋)(女夫岩)
 美作市上山(小屋坂)(女夫岩)
 備前市吉永町都留岐(小屋ノ成・小屋ノ谷)(婦夫岩)
 瀬戸内市長船町東須恵(小屋ノ谷)(女夫岩)
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