岡山県内の鍛刀地と産鉄地名
岡山県内の鍛刀地と産鉄地名
はじめに
日本刀の鍛刀地の条件として、
- 産鉄地に近いこと
- 赤松炭が豊富なこと
- 焼刃土用の粘土がよいこと
- 水質がよいこと
が挙げられています。
この条件の内「産鉄地に近いこと」に注目し、岡山県内の鍛刀地周辺の産鉄地名を調べてみました。
本ページは次の鍛刀地について記述します。かっこ内は系統の名称です。
- 岡山市東区瀬戸町大内字鵜居(古備前派)
- 和気町福富(古備前派)
- 備前市畠田(畠田派)・瀬戸内市長船町長船(長船派)
- 岡山市東区瀬戸町万富(吉岡一文字派)
- 和気町岩戸(岩戸一文字派)
- 岡山市東区吉井(福岡一文字派)
- 岡山市東区西祖(吉井派)
- 岡山市東区浦間(大宮派)
- 岡山市北区御津宇甘(宇甘派)
- 倉敷市青江(青江派)
- 真庭市水田(水田派)
以上の鍛刀地は臼井洋輔著『備前伝刀工の系譜』を参考にしています。
岡山市東区瀬戸町大内字鵜居
平安時代から鎌倉時代にかけて活動した一群の刀工を古備前派と称しています。
正恒・友成は古備前派を代表する刀工といわれ、真恒・利恒・包平・吉包・助包・信房などの名工が輩出しています。
その多くは国宝、重文に指定されています。
鵜居周辺の産鉄地名
鵜居周辺の産鉄関係地名は次の通りです。地図を参照して下さい。
なお掲載した地名の一部について解説していますが、そのほかの地名については本ホームページの「岡山県内の製鉄(たたら)地名」の解説を参照してください。
瀬戸町万富
笹尾・掛上リ・丁福田・金田・梶畑・芋掘・蟹屋敷・梅ヶ坪。
注ー「笹尾」の笹は砂々(ササ)で砂鉄の意。
伯耆地方で「楽々福神社」(ささふくじんじゃ)が
多く祭られています。
楽々は砂々で砂鉄の意、福は炉を吹く意で製鉄神を
祭った神社です。
地名ではササは笹または篠が当て字されています。
当地の笹尾の外に例を挙げますと、
笹ヶ谷(真庭市別所)
笹原山(真庭市山田)
笹池(岡山市南区灘崎町彦崎)
笹山・美笹山(高梁市川上町下大竹)
篠ヶ乢(真庭市黒田)
などがあります。
「丁福田」の福は吹くの当て字で鈩の意。
「鉄を吹く」というのは炉に風を送ることですが、
炉全体を指すようになりました。
福は吹くが当て字されたものです。
当地の丁福田の外に例を挙げますと、
福岡(真庭市阿口)
福ノ原(美作市古町)
福谷(備前市吉永町福満・瀬戸内市邑久町福谷)
福井(備前市坂根)
などがあります。
「梶畑」の梶は鍛冶の当て字です。
鍛冶地名は鍛冶屋が一般的ですが梶もあります。
当地の梶畑の外に例を挙げますと、
鍛冶谷(瀬戸内市邑久町福谷)
鍛冶屋(井原市美星町三山・総社市中尾・笠岡市小平井
・岡山市東区上阿知)
梶屋(赤磐市滝山)
梶屋谷(真庭市樫西)
梶尾(岡山市北区御津中山)
などがあります。
瀬戸町大内
鍛冶屋。
瀬戸町南方
金尾・金山。
注ー金(カネ)は金銀銅鉄などの金属の総称ですが、
当地の金尾・金山は銅と思います。銅精錬所跡があります。
瀬戸町弓削
''黒尾・倉地・大倉市・金山・金嶋・藤ノ小屋・炭床・湯ノ内
・鍛冶屋。''
注ー「黒尾」の黒は鉄の意です。
黒は鉄の色でクロガネは鉄の古称です。
砂鉄の黒色から産地地名になったと思います。
外に例を挙げますと、
黒田(赤磐市多賀)
黒谷(総社市久代)
大黒山(倉敷市木見)
黒取岩(真庭市樫西)
などがあります。
「倉地・大倉市」の倉はクロがクラに転訛したもので
鉄の意です。
倉・蔵に当て字されています。
外に例を挙げますと、
大倉山(鏡野町富西谷)
中倉(新見市大佐大井野)
蔵掛(岡山市吉村)
などがあります。
備前市香登西
鍛冶坪・藤田・笹山口。
注ー笹については先に解説しました。
「笹山口」の口は入り口の意ですが、
本体の笹山が重要なものであるから命名されたものと
思います。
もし植物の笹であれば入り口の地名はつきません。
備前市坂根
福井・福井口・福井下・福井山端。
注ー福井の福は吹くの当て字で鈩の意。
以上が鵜居周辺の産鉄関係地名です。
鵜居と吉井川
地図でお分かりのように、鵜居は吉井川が曲流した内側にあります。
内側は土砂が溜まり砂丘が形成されます。
吉井川の上流域は砂鉄の大産地ですから流出して川砂鉄になり砂丘に堆積します。
鵜居周辺は山砂鉄とともに川砂鉄も採取できたと推測されます。
鵜居の上手の曲流している内側に「倉地」の地名が注目されます。
倉地の倉は砂鉄の意であるクロが訛ってクラになり倉に当て字されたものと思います。
湯ノ内
瀬戸町弓削には鈩場と思われる「湯ノ内」という地名があります。湯は鈩の中で溶解して湯状になった意と思います。
古備前派の刀工が鍛刀地として当地を選んだのも当然と考えられます。
臼井氏は当地の鍛刀者として友成・正恒・包平の名工を挙げています。
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和気町福富
前項で古備前派の鍛刀地鵜居について書きましたが、本項の福富も古備前派の鍛刀地です。
鵜居は主として平安時代に鍛刀していますが、福富では主として鎌倉時代に鍛刀しています。
臼井氏は当地の鍛刀者として直宗・国宗の名工を挙げています。
福富周辺の産鉄地名
福富
福富・福ノ谷・菖蒲谷・穴田・黒岩・吹場。
注ー「福富・福ノ谷」の福は鈩を吹く意で鈩のこと。
菖蒲谷の菖蒲は、古代朝鮮語で金属を意味するソブがソーブになり
更にショーブと転訛して菖蒲に当て字されたもの。
益原
金ヶ市・梨子木タワ・鐘鋳場。
注ー「金ヶ市」の金は鉄の意、ヶ市は開地の当て字。
「梨子木タワ」の梨子〈ナシ〉は穴師のアが脱落したもので、
製鉄集団の居住地の意。タワは峠です。
田原上
日ノ谷。
注ー「日ノ谷」の日は火の意で鈩または鍛冶の火と考えられます。
「日」と「火」には両義性があると言われています。
日→火、火→日になります。
例を挙げますと、
「日ノ平」(備前市吉永町都留岐・赤磐市惣分・和気町北山方)
「日ノ本」(高梁市川上町高山市)。
などがあります。
田原下
金ヶ市・穴見。
原
桜地・梅木・塩辛。
注ー「桜地」の桜はサ+クラでサもクラも砂鉄の意。産鉄地に多い地名です。
ほとんど「桜」の字を当てています。
産鉄地以外にはこの地名は見あたりません。
「桜・大桜」(新見市菅生)
「桜ヶ坪」(岡山市北区建部町角石谷)
「桜坂」(赤磐市山手)
「桜神」(倉敷市稗田)
などがあります。
本
鉄砂台・新黒田・釜田・塩辛。
注ー「新黒田」の黒はクロガネのクロで鉄の意。
「釜田」の釜は鈩の意。
大中山
倉石・倉石山・葛原・福尾・鐘仕場。
注ー「倉石」の倉はクロがクラに転訛し倉に
当て字されたもの。
「葛原」の葛(かずら)や藤は砂鉄を選別する際に
使用する筵の材料です。
清水
笹山・菅谷・黒岩。
注ー「菅谷」の菅は砂鉄の意で県内の産鉄地に
多い地名です。
スゲの古語はスガですが、菅はスガ〈須賀〉の
当て字という説と、
菅の生えるところには砂鉄が多いという説があります。
島根県飯石郡吉田村菅谷(すがや)の「菅谷鑪」は
有名です。
また新見市の地区名「菅生」は大産地を象徴している
と思います。
菅は県内で最も多い産鉄地名の一つです。
「菅ヶ谷」(真庭市鍛冶屋)
「菅ヶ乢」(真庭市三崎)
「菅原」(瀬戸内市邑久町山田庄)
「南菅・北菅」(総社市延原)
などがあります。
福富と吉井川
福富は鵜居より少し上流付近です。
鵜居と同じように吉井川が曲流している場所にあります。
更に曲流地に金剛川が合流しています。金剛川の上流域には多くの産鉄地があります(倉吉・福満・福谷・金谷・菖蒲谷・釜ヶ谷など)。
これらのことから曲流地では川砂鉄が多量に採取できたと推測されます。
福富という集落名が示すように大きな製鉄地であったことから、鍛刀地に適した場所であったことが伺えます。
天皇たたら遺跡
この遺跡には2基の製鉄炉が確認されています。
操業年は8.9世紀とされています。
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備前市畠田と長船町長船
長船と畠田は隣接していますので一緒に記述します。
長船派と畠田派は鎌倉時代のほぼ同時期に鍛刀を開始しています。
畠田派は室町時代の終わりころまで続きます。
長船派は安土桃山時代までが主な鍛刀期間ですが、大洪水で壊滅的な打撃を受けました。しかし江戸時代以降も細々と続けています。
臼井氏は畠田派として守家・真守の名工を挙げています。長船派は光忠・長光ほか多士済々の名工が輩出しています。
長船・畠田周辺の産鉄地名
畠田
金黒・黒本・柴田・柿木田。
注ー「金黒」は鉄滓の堆積場で鍛冶滓が採取されています。
「柿木田」はカキキダではなくカキダと読むのでしょう。
この地名は次の福田地区と香登本地区にもあります。
柿は垣の当て字で垣内(かいと)の意です。
垣内は中世では豪族屋敷または小集落のことでした。
地名は暮らしや営みに必要なものに命名されます。
果物の柿は暮らしや営みに必要なものではないので、
地名になることはまずありません。
柿木の木は接尾語で木の意味はありません。
ではどのような豪族であったののでしょうか。
またはどのような集団の小集落であったのでしょうか。
はっきりしたことは分かりませんが、周辺に産鉄地名が
多いことから考えると、
その関係の豪族か、またはその集団の居住地だったことが
考えられます。
因みに柿地名は県内の産鉄地に多く命名されているのが
参考になります。
詳しくは本ページの
「岡山県内の製鉄(たたら)地名」と、
「岡山県瀬戸内市長船町の地名」のうち「多聞寺」を参照
してください。
柿地名の例を挙げますと、
「柿ノ木谷」(新見市大佐大井野)
「柿木」(新見市正田)
「柿ノ木」(高梁市川上町高山市・笠岡市走出
・真庭市草加部)
「柿木ノ坪」(井原市野上)
「柿ノ木田」(真庭市西茅部・美作市宮本)
「柿木峠」(真庭市阿口)
「柿ノ木ノダン」(岡山市北区建部町角石畝)
「柿之町」(岡山市御津北野)
「柿木下」(岡山市真星)
「柿ノ内」(鏡野町寺和田)
「柿ノ木町」(赤磐市仁堀東)
「柿ノ木坂」(備前市吉永町多麻)
「柿段」(瀬戸内市長船町牛文)
などがあります。
福田
福田・金乢・金乢口・柿木田。
注ー「福田」の福は吹くの当て字で鈩の意。鍛冶の吹くも
ありましょう。
「金乢(かねたわ)」の金は鉄の意。乢は峠。
「金乢口」の口や次の「福井口」の口については先に
書きましたが、
金乢や福井が重要なものであることを示しています。
坂根
福井・福井口・福井下・福井山端。
注ー「福井」の福は吹くで鈩の意。井は接尾語で井戸の
意はありません。
福井から最近鉄滓が発見されています。
香登西
鍛冶坪・藤田・笹山口。
香登本
笹原・金山畑・西ノ坊金山畑。
長船
サナ・藤ノ木。
注ー「サナ」は砂鉄の意。
サナについては「岡山県瀬戸内市長船町の地名」の、
「サナ」の項で詳述しています。
『古語拾遺』に
「天目一個神にくさぐさの刀・斧や鉄鐸(さなき)を
作らせた」
とあります。
鉄鐸は鉄製の大きな鈴ですが、サナは鉄の意と考えられ
ます。
三重県多気郡多気町に式内社佐那(さな)神社が祀られて
います。
この地方は鉱山が多く金属精錬の地として知られています。
社名の佐那は鉄の意と思います。
例を挙げますと、
「サナ」(瀬戸内市長船町長船・真庭市下見)
「サナノサコ」(真庭市下和)
などです。
下図は「文明年間の長船周辺の絵地図」(1469~1486)
ですが、
サナが吉井川の分流と香登川が合流している箇所
であることに注目して下さい。
合流箇所は砂鉄が多量に堆積する箇所です。
因みにこの絵図に書かれている地名はほとんど現存しますので信頼出来るものです。
但し図中の「分流している吉井川」、「香登川」と「サナ」は私が追記したものです。サナの位置は現在のサナの位置と符合します。
香登郷と秦氏
香登郷は条里制水田が開発され古代から栄えた郷です。
和名抄に記載された郷で、上記の畠田はこの郷に属しています。
『続日本紀』に、
夏四月壬申。(中略)侏儒備前国人秦大兄。賜姓香登臣。(文武2年〈698〉4月3日条)
とあり、香登郷には秦氏が居住していたことが分かります。
平城宮木簡に、
香登郷御調□十口
があります。□には金偏が確認されていますので、鍬か鉏と推測されています。
この木簡で香登郷が産鉄地であったことが分かります。
秦氏は殖産氏族で製鉄に長けた氏族ですから、調として鉄製品を納めたのは秦氏と考えられます。
香登郷は産鉄地であることから刀の鉄を供給した郷であることに間違いないと思います。
香登本に祭られている大内神社の境内社に、大酒神社があり秦河勝を祭っています。
以上の資料から「畠田」の地名を考えますと、
畠田の畠は秦氏の秦で、畠に当て字されたものと推測できます。
畠田の田は水田の意ではなく場所を意味する田と思います。
そうしますと畠田は秦氏が住んでいる所の意になります。
「備前刀匠熊野参詣人願文」(元亨元年〈1321〉)に刀匠守家の居住地が「はたけた」と記載されていることから、畠田は古い地名です。
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岡山市東区瀬戸町万富
万富は先に書いた鵜居のすぐ上手にあります。
吉岡一文字派と呼ばれている一派が、
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて鍛刀しています。
臼井氏は助光という名工を挙げています。
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万富周辺の産鉄地名
万富
笹尾・掛上リ・丁福田・金田・梶畑・芋掘・蟹屋敷・梅ヶ坪。
注ー「笹尾」の笹は砂々で砂鉄の意。
「丁福田」の吹くの当て字で鈩の意。
「金田」の金は鉄の意。
「梶畑」の梶は鍛冶の当て字。
「蟹屋敷」の蟹は鍛冶がカニに転訛して蟹に当て字された
もの。
鍛冶屋
鍛冶屋・倉谷・千種山・金井・扇畑。
注ー「千種山」(ちぐさやま)の千種と同名の兵庫県宍粟市
千種町があります。
有名な「千種鉄」の産地です。
砂鉄を炉内に振りかけるスコップのことをタネスキと
いいます。
タネは砂鉄の意です。
県内の種地名の例を挙げますと、
種石(鏡野町竹田)
種坪(備前市吉永町福満)
種尾(井原市美星町三山)
種井(総社市種井)
などがあります。
これらの地名の周辺には産鉄関係地名が密集しています。
また草は種(タネ・クサ)の当て字と考えられることから、
地名では草と種は同意と思います。
県内の草地名の例を挙げますと、
千草(新見市大佐布瀬)
草間(新見市草間)
大草(鏡野町公保田)
草山・草田ヶ平・江草谷(井原市美星町明治)
などがあります。
これらの地名の周辺にも産鉄関係地名が密集しています。
以上のことから「千種山」の「千」は多い意で、「種」は
砂鉄の意と考えます。
すなわち多くの砂鉄を産する山となります。
弓削
黒尾・倉地・大倉市・金山・金嶋・藤ノ小屋・炭床・湯ノ内・鍛冶屋。
注ー「黒尾」の黒は鉄の意。
「倉地・大倉市」の倉はクロがクラに転訛したもので
鉄の意。
「湯ノ内」の湯は鈩内で鉄が融解した状態のことで鈩の意。
吉岡一文字派
鎌倉時代に則宗を祖とする福岡一文字派が現れます。
銘に「一」の字を切ったことから派名になりました。
同派の助宗の孫にあたる助吉が、吉岡庄(万富・鍛冶屋周辺)で鍛刀を始めたことから吉岡一文字派と呼ばれています。
同派から助光・助包・助次などの名工が輩出しています。
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和気町岩戸
岩戸は先に書いた福富の上流にあります。
岩戸一文字派と呼ばれている一派が南北朝時代に鍛刀しています。
臼井氏は吉家という刀工を挙げています。
岩戸周辺の産鉄地名
岩戸
岩黒・釜井戸。
田土
穴・穴ノ段・蔵ノ下・鍛冶屋・カジヤノ脇。神主(かぬちか)・柿ノ段。
父井原
黒ノ元・黒知田・穴見・穴見口・倉谷・ツエ・樋ノ口・葛
・鎌田・日ノ窪・吹上・梅ノ木段。
注ー「梅ノ木段」の「梅」は埋めの当て字でカナクソの廃棄場です。
「木」は接尾語で木の意味はありません。
産鉄地にはほとんど梅地名があります。
例を挙げますと、
梅ノ木(美作市川上・新見市大佐布瀬・新見市花見・総社市八代)
梅ノ木迫(新見市菅生)
梅木谷(鏡野町上斎原・井原市美星町明治・高梁市川上町下竹荘)
梅谷(鏡野町富仲間・岡山市北区建部町角石谷)
梅ノ木段(和気町父井原・備前市吉永町加賀美)
などです。
加三方
金子山・菖蒲田・穴尾・津エト・樋ノ元・芝田・梶井・鍛冶屋谷。
注ー「金子山」の金子は鈩従業員のことです。
従業員には職長の村下(むらげ)、
炭の吟味役兼職長補佐役の炭坂(すみさか)、
炭焚(すみたき)、フイゴを踏む番子(ばんこ)などの諸役がおり、
総称して金子(かねこ)といいます。
地名になると金子の住居地になります。
例を挙げますと、
上金子・下金子(新見市西方)
金子(総社市新本)
金子谷(岡山市北区御津紙工)
金子峠(新見市土橋)
金子山(和気町加三方)
金子・金子池(和気町小坂)
などです。
「菖蒲田」の菖蒲は金属の意であるソブがソウブ、ショウブと転訛し、
菖蒲に当て字されたものです。勝負に当て字されたものもあります。
産鉄地にもっとも多い地名の一つです。
例を挙げますと、
菖蒲ヶ谷(新見市大佐大井野)
ショウブ坪(高梁市川上町仁賀)
菖蒲ヶ迫(井原市美星町明治)
菖蒲谷(和気町加三方・備前市閑谷)
勝負砂(総社市久代)
勝負峪(真庭市目木)
などです。
小坂
大笹・石黒畠・名倉・猿倉・草木谷・炭穴・多々羅井
・釜ノ窪・金子・金子池・乗金・梨ノ木。
田賀
桜谷・名倉・日向佐古(ひなさこ)・福谷口・釜底・釜底口。
宇生(うぶ)
菖蒲田・鎌田・梶井・カジヤ坂・金所(かにどころ)。
矢田部
黒ノ元・黒添・東田ノ草・西田ノ草・福前・扇田・扇子ノ尾。
注ー「扇田・扇子ノ尾」の扇・扇子は風を送ることから、
鈩または鍛冶の意と考えられます。
例を挙げますと
扇山(岡山市北区建部町鶴田)
扇屋谷(美作市今岡)
扇ノナル(岡山市北区真星)
扇田・扇子ノ尾(和気町矢田部)
などです。
米沢
笹スリ・釜池・鐘鋳場
塩田
塩田・掛ノ谷・木倉ノ段・杖谷。
注ー「塩田」の塩は難解な地名です。
砂鉄を選別した後の土砂(廃砂)の意とするもの。
地崩れによる楔形地形の意とするもの。
川の曲流部の意とするもの。撓んだ土地とするもの。
などの説があります。
本ページは廃砂説に従っています。
例を挙げますと、
塩干田(真庭市下徳山)
塩辛田(美作市宮本)
中シオカラ・下シオカラ・向シオカラ(真庭市中福田)
塩留(赤磐市中勢実)
塩坪(和気町北山方)
塩田(和気町塩田・同奥塩田・総社市下倉・岡山市北区建部町三明寺)
塩ノ谷(新見市大佐大井野・赤磐市塩木)
などです。
奥塩田
奥塩田・黒岩・作備口(さびぐち)・杖谷・湯船・藤屋根
・芝床・上芝床・袋尻・日ノ平・日ノ迫・釜ノ窪・金田池
・金屋敷・梅ノ木。
注ー「芝床・上芝床」の芝は柴の当て字と思います。
タタラ業者と山の持ち主との契約書に、
「柴山」とか「柴代」という言葉がでてきます。
柴または芝は鈩で使用する炭の原木の意です。
柴・芝地名の例を挙げますと、
赤柴山(高梁市川上町地頭)
金柴(美咲町高城)
柴倉(真庭市中津井)
柴谷(赤磐市中勢実)
芝床(和気町奥塩田・美咲町川上)
芝山(新庄村鍛冶屋)
芝尾(和気町北山方)
などです。
北山方
笹山・祖母地・横掛・井手・芝尾・日ノ平・大釜・鍛冶山・金田・塩坪。
岩戸一文字派
吉岡一文字派と同様に福岡一文字派の系統の派です。
氏吉・吉家などの刀工が活躍しています。
佐伯部について
上記の産鉄地名はすべて旧佐伯町に属しています(2006.3.1旧和気町と合併し和気町になる)。
佐伯町の町名の由来が、軍事的氏族である中央の伴造佐伯連氏に従属する佐伯部の駐屯地に由来するものなのか、はっきりしたことは分かりません。
佐伯氏は軍事的氏族ですから当然大量の武器を必要とします。
上記の通り当地(旧佐伯町)はほとんど産鉄地と言ってよいほどの土地です。
佐伯部の駐屯地であったとしても当然と思います。
岡山市東区吉井
福岡一文字派
福岡一文字派の鍛刀地は吉井周辺とされています。しかし現在の東区吉井周辺なのかは分かりません。便宜本項に記述します。
一文字派と呼ばれているのは、銘に「一」を切ったものが多いことから派名になりました。古備前派に続き鎌倉時代に鍛刀しています。
同派から則宗・吉家・吉房などの名工が輩出し、その多くは国宝・重要美術刀に指定され、長船派とともに刀剣界に燦然と輝いています。
長船町福岡の地に「福岡一文字造剣之地」という碑が建立されています。
傍らに看板が立てられ次のように書かれています。
福岡一文字派
福岡一文字派は、鎌倉時代初期の則宗を始祖とし、鎌倉中期にかけて多くの名工を輩出して黄金時代を迎えました。
中でも則宗や宗吉らは、後鳥羽上皇の御番鍛冶として召し出されています。
一文字の呼称の由来は、銘に「一」の字を刻すものが多いからで、「一」は天下一ということを表わしていると解されています。
福岡一文字派は、「一」の銘だけ切るもの、「一」の下に個銘を切るもの、そして個銘だけのものに大別されます。
刀工たちの居住地のこの福岡庄(現在の長船町福岡地区と岡山市の東部の旧上道地区)は、平安時代の末期から鎌倉時代の正中元年(1324)東寺の荘園となるまでは、皇室の重要な荘園でした。
「東寺百合文書」に残されている古文書により、当時、福岡一文字派の刀工たちは、福岡庄の吉井周辺に居住し、皇室の庇護を受け広い給田を所有、安定した生活の中で鍛刀していたことがうかがえます。
この時代、備前刀は古備前派から長船派、国宗派、そしてこの福岡一文字派が相競うように排出し、刀剣の質、量ともに黄金時代を迎えています。
特に福岡一文字派の作風は、のちの日本刀の原形であり、古雅の上に優美さを加え一世を風靡しました。
福岡一文字派の刀剣には、則宗、吉家、吉房、助真、助平、助綱等をはじめ「一」、そして無銘のものまで、御物、国宝、重要美術刀剣、重要刀剣となっているものが多い。
福岡一文字派は、元寇という未曾有の出来事に遭遇してからの世情の大きな変動の中で、備前刀の特徴が他の地へも伝わり大きな影響を与えました。
そして現在まで、備前刀が日本の主流をなしてきています。
平成十六年十月 備前福岡史跡保存会
鍛刀地吉井について
上記の看板には福岡一文字派は福岡庄吉井周辺に居住したと書かれています。
吉井に関係する文書に「吉井村内検目録」(建長元年〈1249〉『東寺百合文書』)があります。
この文書に「一宮・石津宮・常福寺・平安寺」が建立されていることが書かれています。
「一宮」(現在の福岡神社)と「石津宮」(現在の石津神社)は本国総社本に記載されている古社です。
注:一宮は律令時代にその国で第一位の神格をもつ神社ですが、
福岡荘に備前国の一宮があったことはありません。
一宮と称したのは福岡神社が正一位福岡大明神と称された
ことがありますから一宮は「一位の宮」の意かも知れません。
常福寺・平安寺は今はありません。
この福岡神社が西祖・浅川・浦間の堺付近にあることから考えると、福岡庄吉井村は現在の吉井・一日市・西祖・浅川・浦間付近が吉井村であったと推測できます。
また長船町福岡はかつての吉井川の本流が、福岡の東を流れていたころは上道郡でした。従って福岡は吉井村の東端であったと考えられます。
福岡地区の氏神は現在も石津神社です。
吉井村の村域は広いため一文字派の鍛刀地がどの当たりか特定することは困難です。
現在の東区吉井には産鉄地名はありません。
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岡山市東区西祖
吉井派
福岡一文字派とは別系統に吉井派があります。
臼井氏は鍛刀地は西祖付近とし、影則の刀工を挙げています。
鎌倉時代末期ころより室町時代まで鍛刀しています。
西祖山方前の製鉄遺跡
昭和60年ころ「浦間・西祖地区土地改良総合整備事業」の施工に伴い、埋蔵文化財の調査が行われた際に西祖山方前で製鉄遺跡が発見されました。
調査結果を平成6年(1994)に『西祖山方前遺跡・西祖橋本(御休幼稚園)遺跡発掘調査報告』に纏め、岡山市教育委員会から発表されました。
報告書によると、西祖山方前遺跡から炉址と周辺の遺構および排滓場から鉄鉱石の小片が発見されています。このことから原料は鉄鉱石と判断されました。
同報告書は
この炉の操業開始は遡っても古墳時代前期まで、可能性としては古代前半期(8・9世紀)に求められ、12世紀には停止されていた。
炉址の下手を調査した結果、谷中央部全域を埋めるに足る量の炭灰層からして、かなりな規模あるいは期間にわたる製鉄炉の操業があったと推察され、室町時代末くらいには操業を停止していた。
としています。
更に「刀匠に鉄を供給した遺跡として評価される」としています。
福岡一文字派が鎌倉時代、吉井派が鎌倉時代末ころから室町時代、浦間の大宮派が鎌倉時代中ころから室町時代であることから、製鉄炉の操業期間と重なります。
また操業が停止される室町時代末は、吉井派と大宮派の終期であることが注目されます。
調べてみますと、刀剣は国内産の鉄鉱石または砂鉄で作られた鉄か、或いは舶載鉄で作られたという説があります。
西祖山方前製鉄遺跡周辺で鉄鉱石で作られた鉄が、刀剣に使用された可能性は大きいと思います。
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岡山市東区浦間
大宮派
臼井氏は大宮派の鍛刀地は浦間付近としています。
同氏は国盛・盛景の刀工を挙げています。
鎌倉時代中ころから室町時代にかけて鍛刀しています。
浦間の産鉄地名
金黒谷・貫抜間(かんぬきま)・鎌崎・金坊谷(こんぼうたに)・東金坊・金坊沖
注ー「金黒谷」から炉壁が出土していることから鈩場であった
可能性が高い。
「貫抜間」の貫抜は「金抜き」(かねぬき)
が転訛して貫抜に当て字されたもの
と考えられます。
鈩で湯状になった鉄を抜く装置が「湯口」です。
湯口で鈩全体を指していると思います。
例を挙げますと、
「カンヌキ」(岡山市南区灘崎町迫川)
「貫抜間」(岡山市東区浦間)
「カンノキ」(岡山市東区瀬戸町観音寺)
「東貫抜・西貫抜」(赤磐市上市)
「閂・貫木」(瀬戸内市長船町土師)
などです。「カンノキ」はかんぬきの転訛と思います。
なお「閂・貫木」(瀬戸内市長船町土師)については、
「岡山県瀬戸内市長船町の地名」の項で詳述しています
ので参照して下さい。
「鎌崎」の鎌は釜の当て字で鈩の意です。
備前国上道郡那紀郷
参考までに福岡庄吉井村周辺の歴史を点描します。
『和名抄』に記載されている那紀郷の郷域は明確には分かりませんが、吉井川右岸の岡山市東区吉井、同一日市、同西祖あたりを中心にした一帯だろうと推測されています。
この地域周辺は弥生時代から中世にかけて高度な文化が次々と展開しました。
最も著名なのは前期古墳の浦間茶臼山古墳です。全長120㍍の前方後円墳で、桜井市の箸墓古墳に類似していると言われています。
更に前期古墳の一日市古墳群、吉井古墳群、矢井古墳群、浅川古墳群などが犇めいています。豪族が割拠し繁栄していた様が伺えます。後期古墳は前期とは対照的に少ないようです。
奈良時代後期に吉井寺が建立され寺域から平城宮式瓦や緑釉陶器が出土しています。
百枝月地区には弥生時代中期末ころの遺跡があり、銅鐸2個と破片多数が発見されています。
当郷には備前国式内式外の古社128社のうち、福岡神社と石津神社の2社があり現在も氏神として祭られています。
平安時代後期に郷内に福岡荘が立荘しました。
福岡が荘名になったのは当地域で福岡という地名がもっとも著名であったためと思われます。
福岡神社の社名も福岡という地名に由来すると考えられます。
特筆すべきは当郷は日本有数の刀剣の生産地で多数の名工を輩出しました。
鎌倉時代には福岡一文字で知られる刀工集団が生まれ、南北朝・室町時代には吉井・大宮両鍛冶が擡頭しました。
鎌倉時代に福岡荘の東部(岡山市東区吉井、同一日市、長船町八日市、同福岡、同福永、邑久町豆田の豆田河原付近)で「福岡ノ市」が成立し、山陽道随一の経済の中心地として繁栄しました。
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岡山市北区御津宇甘
宇甘派(うかいは)
旭川の支流宇甘川沿いの宇甘郷(御津宇甘)で、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて宇甘派(雲派ともいわれている)が鍛刀し、雲生・雲次・雲重などの刀工が輩出しています。
宇甘川流域は産鉄地が多く鍛刀地に適していたと考えられます。
産鉄地名
御津中泉
菅田・スガノ田・桜ノ木・黒木・黒杳・目黒地・クロソエ・クロノハナ・丸黒・日南山・大内谷日南・熊見日南・釜谷・鍛冶屋・柿ノ木段
(参考)松尾端
注ー「日南山」の日南はヒノト(火ノ処)→ヒナタ(日向)→ヒナ
(日南・日名)と転訛したといわれ、ヒナ地名は産鉄地の意
と考えられます。
ヒナという単独の地名もありますが、多くは山、谷、平、
カマ、金洗場などにくっついているのが特徴です。
当地の外に例を挙げますと、
「ヒナガマ」(新見市大佐大井野)
「ヒナ二段」(真庭市五名)
「釜ヶ谷日名平」(真庭市草加部)
「日向佐古」(和気町田賀)
「日南山」(岡山市北区建部町田地子)
「金洗ヒナ」(高梁市川上町七地)
などがあります。
参考に挙げています「松尾端」、
御津高津の「松尾」、
御津紙工(みつしとり)の「松尾・ハタ」、
御津河内の「半田」は秦氏ゆかりの地名です。
松尾は秦氏の氏神松尾神社を分祀して祭ったことに由来しています。
半田は秦がハンダに転訛し半田に当て字された地名です。
秦氏は殖産氏族で製鉄に長けていましたから、
当地の製鉄に深く関わっていたと推測されます。
御津高津
菅境・横黒・黒ノ内・黒畑・倉安・樋合・樋尻・日南・正谷日南・コブタゴ日南・池尾ノ日南・陽日南・奥山日南・梅田
(参考)松尾
御津河内
菖蒲谷・桜田・馬クロ・土倉山・樋尻・井ノ芝・日南・日南山・上日南・日南田・新田日南・金底・上金底・下金底・吹屋敷・鍛治屋敷・柿本
(参考)半田
御津紙工
笹木・丸倉・藤倉・穴ノ佐古・大蔵・金山・船木・樋ノ尻・大藤・金洗場・金洗場上・日南・瓶石日南・竈ノ段・竈庭・タタラ・日ノ見・日ノ裏・焼屋シキ・金子谷・金子谷口
(参考)松尾・ハタ
注ー「金洗場」は砂鉄選別の最後の段階です。
砂鉄80パーセントの選別であれば上等と言われています。
金洗場のことを「洗樋」ともいわれています。
例を挙げますと、
「金洗ヒナ」(高梁市川上町七地)
「金洗場」(岡山市北区御津紙工)
「洗場」(井原市美星町鳥頭)
「洗通・洗町」(真庭市鍛冶屋)
などです。
御津虎倉(みつこくら)
桜木・発尾笹目・笹目日南・倉目・小グラメ・大蔵上・大蔵下・井手根・樋ノ口・大タラ(大鈩か)・福田・カンジヤヶウチ(カジヤヶウチか)・ニゴタ・ニゴ上・仁五下
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倉敷市青江
青江派
養和元年(1181)12月8日の後白河院下文案(『新熊野神社文書』)に万寿庄(ますのしょう)ほかの庄名がみえます。
万寿庄の遺称地は不明ですが、現倉敷市の北東部一帯と推定されています。
万寿庄内には青江鍛冶が居住し数々の名刀が作られています。
平安時代末期ごろ万寿庄青江に名匠安次が現れ、後鳥羽院御番鍛冶に貞次・恒次・次家など、備前刀工につぐ人数が選ばれています。
平安末・鎌倉・南北朝各時代にわたって鍛刀した青江鍛冶の名は著名です。
室町時代中期ころに途絶えました。
万寿庄は現倉敷市の北東部ですから青江・宮前周辺と考えられます。
青江と高梁川
高梁川は青江の西で大きく曲流しています。先に書きましたが曲流した内側には土砂が堆積します。
高梁川の上流域は砂鉄の大産地ですから川砂鉄になって土砂と共に堆積したと思います。
更に曲流部で小田川が合流していますが、小田川流域も大きな産地ですので、曲流部には大量の砂鉄が堆積したと推測できます。
先に「長船町長船」で、吉井川と香登川が合流した箇所の地名が、砂鉄を意味するサナであることを書きましたが参考になります。
この川砂鉄と刀剣とは深い関わりがあると思います。
青江周辺の産鉄地名
黒崎
倉ノ原・金堀・藤井
中庄
倉ノ原・藤井
西岡
梶ノ曲・鐘鋳谷(どうじたに)
祐安
菅生ヶ峰
酒津
大倉・金堀・荒金・鍋屋・鐘鋳谷(どうじだに)・姥ヶ谷
清音黒田
黒田・黒山・菅谷・鐘堀谷・柴山
(参考)松尾
清音古地(きよねこち)
黒山・菅谷・扇谷・北川仁後・鐘鋳場
注ー「北川仁後」の仁後(にご)は、
金洗場で砂鉄を選別した後の廃砂の意と思います。
濁り水になって流れることから、
堆積した処がニゴ(濁)地名になったのでしょう。
「仁五田」や「ニゴ畑」があることから、
ニゴ地名の多くは廃砂で作られた棚田とか畑だろうと思います。
ニゴは色々に当て字されています。
例を挙げますと、
「穴ニゴ」(新見市土橋。穴とは鉄穴のこと思われます)
「仁子谷」(新見市菅生)
「ニゴ畑」(新見市大佐布瀬)
「仁古」(井原市美星町大倉)
「大仁悟」(総社市山田)
「仁五田」(津山市宮部上・真庭市草加部・笠岡市篠坂)
「古仁期」(鏡野町富東谷)
などがあります。
清音軽部
菅生谷・藤原・福山・鋳物師・鋳物師谷・鋳物師迫
船穂町柳井原
金山・勝負坂・勝負辻
船穂町船穂
梶谷・大舟尾・釜之堀・福島山・尻袋
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真庭市上水田
水田派
室町時代末期に水田郷(真庭市上水田周辺)で国重派が鍛刀を始めています。
水田派は、青江派為次の末流とされています。安土桃山時代末ころから元禄時代に亘って、六十余名の刀工を出し非常に繁栄した一派です。
この派は、高梁市・津山市・井原市などに移住し鍛刀しています。
代々国重を名乗り、新刀初期の慶長年間ごろには名工大月与五郎国重が出ています。
水田郷
水田郷は『和名抄』に記載された郷で、郷域は真庭市上水田を中心とした備中川の流域に比定されています。
上水田小殿(おどの)に英賀郡衙跡と推定されている遺跡があり、近くに郡(こおり)神社が祭られています。
英賀郡(現在の新見市東部・元大佐町・真庭市元北房町・高梁市北部の地域)の政治的中心としての位置を占めていたと考えられます。
上水田には白鳳期に建立され英賀廃寺があり、式内社井戸鐘乳穴(いどのかなちあな)神社が祭られています。
水田郷は大きな産鉄地です。
旭川の支流である備中川は上水田で曲流しています。
更にその支流である中津井川が上水田で合流しています。
両方ともにその流域は産鉄地です。合流地には川砂鉄が大量に堆積したと考えられます。
また下中津井の「松尾」、上中津井の「半田」、上呰部の「半田」、阿口の「半田」、山田の「半田」の秦氏ゆかりの地名が注目されます。
上水田周辺の産鉄地名
下中津井
藤岩・横穴・カマノ口・湯上リ・ヒナ林・カジヤ前・蟹川・袋尻・梶屋ヶ市・梅ニゴ・二ツニゴ・三ツニゴ・月ニゴ・下仁後
(参考)松尾
上中津井
スゲヶ迫・笹山・大笹田・倉谷・穴ヶ迫・ヤクラ・大蔵古屋敷・井手尻・藤ヶ市・柴尾・柴倉・芝原・鍛治屋敷・鍋屋・コワニゴ・塩川
(参考)半田
下呰部(しもあざえ)
菅谷・菅田・黒岩・蔵掛・蔵貫(くらぬき)・蔵内尻(くろうちじり)・金花田・蔵開田・笹子・崩滝・藤ノ畦 ・樋ヶ迫・扇田・扇畑・大良(たら、タタラか)ヶ平・火口・鉄屎・上野呂
上呰部
菅谷・笹平・金倉(かなくら)・船浴(ふなざこ)・藤畝(ふじうね)・藤ノ木・藤ノ木田・墨田(炭田か)・十代・二十代・鍛冶屋・上国金・梅ノ木田・柿ノ木
(参考)半田
阿口
金山・桜ヶ峠・勝負ヶ峪・菅ノ迫・穴迫・穴窪・穴畑・大草里・於子草里・大蔵・金倉・金摺(かなずり)・黒坂・蔵廻リ・金倉田(かなくろだ)・金林・樋ノ口・樋ノ鼻・井手平・国藤・炭釜・下京平炭釜・釜ヶ迫・奥釜・釜ヶ頭イ(かまがひたい)・湯頭・福岡・扇尾(おきの)・広田日名・朴ノ木迫・芋岡・鍛冶屋場・鍛冶屋床・鍛冶屋畑・袋尻・大野呂・大仁子・広仁子・仁子田・穴二子・柿木峠
(参考)半田
注ー「朴ノ木迫」の朴について。
伯耆には各地に楽々福(ささふく)神社が祭られています。
そのうちの東楽々福神社・西楽々福神社(日南町宮内)は、
朴ノ木がご神体とされています。
氏子は朴歯の下駄を履いてはならぬという禁忌の伝承がある
と言われています。
楽々福神社が製鉄神であることは前に触れましたが、
朴ノ木と結びついています。
また当地の高岡神社(上中津井)や垂水神社(真庭市
垂水)にも朴歯の下駄の禁忌の伝承があると伝えられて
います。
製鉄神と結びついている朴ノ木と、産鉄地にある朴地名は
関係が深いと思われます。
朴地名は産鉄地以外には見あたりません。
しかし製鉄神を祀った地名なのか、産鉄地地名なのか明らか
ではありません。
当地以外の例を挙げますと、
「朴ノ木谷」(新庄村戸嶋)
「朴ノ峪」(鏡野町富仲間)
「朴谷」(真庭市樫東)
「ホウノ木」(井原市美星町上高末)
「ホフ塚」(新見市大佐小坂部)
などがあります。
上水田
菖蒲田・勝負峪・桜ヶ峠・桜畦・黒田・黒田淵・穴サコ・穴尻・菅野西・掛原・金谷・大倉・高倉・蔵ノ下・金尾畑・黒柴畦・藤畝・土取場・五代田・三十代・福尾・吹上・蔵屋敷・鍛冶屋ヶ市・野呂・金草(かなくそ)・梅木・梅ノ木谷・梨子木・穴ニゴ・仁五
宮地
桜・桜ノ前・勝負迫・黒内・黒地・中黒・金丸・トイ迫・井手口・湯上・湯神・湯川・湯川上・湯川山・鎌田・釜田・ホウキ迫・梅ノ元・塩谷・仁子(にご)・ナシヶサコ
注ー「ホウキ迫」のホウキについて。
谷川健一編『金属と地名』の「出雲・石見における産鉄」
(白石昭臣執筆)に記述されている鶯地名に関する伝説を
紹介します。
鳥取県西伯郡名和町門前に、鈩などの産鉄地名とともに
鶯谷の地がある。
この周辺は孝霊天皇と鉄と鬼にまつわる伝承地であり、
孝霊にちなんで高麗山という山があり、その近くにこの
門前が位置する。
この天皇は血族の鶯王に鬼退治をさせ成功するが、しかし
王は討ち死にする。
よってこの鶯王を祀り、ササフク(楽々福)大明神として
崇めたという。
このような伝説が生まれる背景には、
産鉄と鶯とは何らかの関わりがあったのに違いないと思い
ます。
しかしこの地名は製鉄神を祀った地名なのか、
産鉄地地名なのか明らかではありません。
鶯はホウキとも言われています。
例を挙げますと、
「鶯谷」(新見市菅生)
「鶯逧」(岡山市北区建部町三明寺)
「箒尻」(新見市石蟹)
「箒迫」(真庭市五名・井原市野上)
「ホウキ」(新見市正田・井原市美星町明治)
などがあります。
山田
笹原山・笹原・穴田・クロノ元・三十代・四十代・湯浅田・カシヤシキ・梨木田・柿木田
(参考)半田
五名
笹山・掛原・黒土・倉田・倉ヶ市・前蔵・大蔵・箒迫・湯田・ヒナ山・ヒナ二段・浜井場(浜鋳場か)・イモウ祢・カジヤ・ソウヅブロ
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