浦上庄と浦上氏
浦上氏と関係地名
浦上庄と浦上氏
浦上庄は『和名抄』に揖保郡浦上郷(播磨国)と記載されている郷名を継承したとされている。
庄域は揖保川下流域のたつの市南部の揖保町地域から御津町の辺りと推定されている。
養和元年(1181)12月8日の後白河院庁下文案『新熊野神社文書』に京都新熊野社領二十八庄の一として浦上庄がみえることから平安時代後期には浦上庄が成立していた。
この浦上庄に浦上氏が誕生する。
庄名を苗字にして浦上と名乗った。
浦上氏の初見は『大徳寺文書』にみられる浦上為景とされている。
この一族から妙超宗峰が生まれた。
宗峰妙超は、浦上掃部入道覚性(一国ともいう)の子で、
後の大徳寺の開山大燈国師である。
その後浦上氏は揖保郡を離れ、備前国の守護代として代々三石城(備前市三石)に拠っている。
三石城は山城で山頂に築かれていた。その山を城山という。