神坂
神坂
神坂は瀬戸内市邑久町尻海にあり、かっては海岸に屹立した岸壁でした。
美和神社から南東方向、直線距離で約3.5㎞の位置です。
何時のころかはっきりしませんが、この付近の海岸が埋め立てられ、今は集落の中にあります。
写真のように巨岩で現在は「才崎」という地名ですが、元は神坂(みわさか)でした。
『日本書紀』「神代紀」に「天つ磐境(いわさか)を起し…」と記されていますが、神坂の坂は磐境の境(さか)の当て字と思われます。
磐境は神が鎮座する施設や区域の意ですから、神坂は磐境の意と考えられます。
神坂(才崎)には才崎宮が祭られていましたが、現在は若宮八幡宮の境内に広高神社として祭られています。
神坂には頂上に瓦社が安置され名残をとどめています。
美和神社の秋の大祭前には、まず宮司と東須恵・西須恵の祷主、従者が尻海の海に入り潮ゴリをとって身を清めます。
続いて広高神社(元才崎宮)に幣帛を奉献し直会を行って帰る行事があります。
現在は尻海の海は塩田(現在は使用していない)として埋め立てられたので、少し離れた牛窓町の海岸で潮ゴリをとっています。
幕末の頃、尻海の郷土史家中江理左衛門は『尻海の遺跡』の中で、この様子を次のように記しています。
…例年八月祭礼前、神職、氏子当番の族、尻見犀崎(尻海才崎)に来たりて浜辺にて潮をあび、藻を拾ふて潮を汲んで、彼の犀崎の岩窟へ白幣を建て祝言して帰るが例なり。
この行事は神坂で大物主命を迎える行事です。当然祭典終了後にお送りする場でしたが、現在は簡略になって美和神社の境内近くに御旅所を設けてお送りしています。
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