[瀬戸内市の地名と人々の営み]1.2.瀬戸内市の秦氏
瀬戸内市の秦氏
本項は瀬戸内市を中心にして旧邑久郡域に範囲を広げて記述する。
備前国邑久郡の郡域については次の平城宮出土の木簡が参考になる。
備前国邑久郡方上郷寒川里
白猪部色不知塩二尻
方上郷は備前市東片上・西片上周辺から日生町に至る地域で、寒川は日生町寒河に比定されている。
従って邑久郡は吉井川から東の岡山市、瀬戸内市、備前市香登から日生に至る地域及び備前市鶴海、同佐山地域であったことが分かる。
その後養老五年(七二一)四月二〇日に赤坂・邑久二郡から三郷を割いて藤原郡が成立し、邑久郡は縮小した。
三郷の郷名は明らかではないが、その内の一郷は地理的な関係から方上郷と推測される。
本項は養老五年以前の邑久郡を対象にしている。
図でお分かりのように秦氏関係地名などは全域に分布している。以下その地名について解説する。
半田利(岡山市東区下阿知)。
利は里の当字と思われることから、集落名であったと推測される。
半田(牛窓町鹿忍)。
近くに製塩遺跡がある。
幡(牛窓町牛窓)。
幡は集落名で師楽(しらく)の集落に接している。
師楽は師楽式製塩土器の出土で有名である。新羅が転訛して師楽と当字されたと考えられている。
半田・畑(牛窓町長浜)。
後述するように土器製塩跡地に接している。錦海湾が干拓される以前は海岸の周辺である。
松尾(邑久町尻海)。
松尾には松尾神社が祭られている。松尾神社に由来して周辺が松尾と命名された。
半田(邑久町山田庄・邑久町山手)。
邑久町山田庄の貴船山の東に半田・半田上があり、それに接して邑久町山手に半田がある。半田廃寺跡と推測されている箇所があり、附近に条里制水田が広がっている。
畑(長船町東須恵)。
集落名である。元は畑寺村であったが寺が省略されて畑になった。畑山大聖寺に由来する地名である。
高畑山(長船町東須恵)。
大池というため池が作られた時命名されたと思われる。この山に降った雨はすべて大池に注ぐ。
油杉(長船町磯上)。
集落名である。秦氏の祖とされている弓月の君の弓月が訛り油杉に当字されたと考えられる。条里制水田が広がっている。
松尾坂(備前市鶴海)。
畠田(備前市畠田)。
集落名である。秦が畠に当字されたと考えられる。
幡・幡谷(備前市久々井)。
久々井は海岸に面している。
幡谷(備前市浦伊部)。
幡小山・幡ヶ市(備前市日生町寒河)。
「ヶ市」は開地の当字と考えられる。