[瀬戸内市の地名と人々の営み]13.3.田がつく地名
田がつく地名
ある山村の地名を調査したことがある。役場で1/1000の地図をコピーしてもらい、土地台帳を閲覧しながら地図に小字地名を記入した。手間のかかる作業であるが基礎資料として必要であった。
記入してゆくうちに「黒ノ田」という地名と出会い、山の頂上付近にあるのでびっくりした。田といえば水田と考えるのが普通である。もし水田であれば付近にため池があるはずだが、古老に聞くと「ため池なんかあるわけがない」との話で調査を終えてもこの地名は不明のままになった。
気に掛かりながら時が過ぎ、別の調査で備前市の畠田という地名を検討しているとき、畠と田が一つの地名になるのは何だかおかしいと思った。
畠田は鎌倉時代に備前刀の鍛刀地で有名である。「備前刀匠熊野参詣人願文」(元享元年〈一三二一〉)に、刀匠守家の住所が「はたけた」になっているので古い地名である。
徒労かも知れないと思いながら『漢和辞典』で「田」を引いて驚いた。田の意味に「田畑のように何かをうむ所」があり、古訓に「ところ」とあった。
長年の疑問が一挙に解決しもっと早く辞書を引いていればと悔やまれ、先入観がいかに邪魔をするか思い知らされた。
黒ノ田は「黒がある所」の意になる。この周辺は銅や鉄などの鉱産物が多い地帯であることから、黒はくろがねの黒で砂鉄か鉄鉱石を産出した所と推測できた。
また畠田は『和名抄』に記載されている香止(かがと)郷内にある。香登の大内神社の境内社に秦河勝を祀り、畠田の近くには新羅古墳といわれる古墳がある。畠田の畠は秦氏の秦の宛字と考えることができるので畠田は秦氏の居住地の意になる。
田がつく地名に藤田・梶田・林田・黒田・梅田・福田・庄田など挙げてゆけば切りがない。