[瀬戸内市の地名と人々の営み]13.4.元の地形が分かる地名
元の地形が分かる地名
西谷地区の関係地名
長船町飯井西谷地区の例で説明したい。当地は山沿いの緩斜面に水田が広がる地形で、北には標高一五〇㍍から二〇〇㍍前後の山並みが東西に延びている。二ヶ所の谷から流れる雨水が合流して地区内を流れ元の地形を作った。
地名の「迫間(はざま)」は二ヶ所の流れが合流している地点で、迫間は谷あいの意だが水勢で大きく抉れた地形になった所と推測できる。水は大量の土砂を流し扇状地を作った。この扇状地を開墾し「河原田」・「東河原田」・「西河原田」を作った(地図参照)。開墾するにあたって堤防を作ったのが「中堤」であろう。
「深町」と「水田」は低い土地を開墾した水田の意と思われ、備前市佐山方面から流れる川筋であったのだろう。「池ノ内」は天然の大きな池だったと思われる。
以上の地名から土砂は「深町」の上手まで扇状に広がっていたと推測できる。この土砂は「金ヶ平(かねがひら)」が関係しているようだ(地図参照)。金ヶ平の金は砂鉄のことと思われることから採掘した後の土砂が流れ下流域に河原を作ったと考えられる。
図中に「地頭免」の地名がある。地頭とは平安時代、荘園の領主が土地管理のために現地に置いた荘官のことである。免は税が免除されることで地頭免は免田の意である。この地名があることから平安時代には扇状地に水田が作られていたと推測できる。