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[瀬戸内市の地名と人々の営み]13.5.元の河道が分かる地名

元の河道が分かる地名

 吉井川はかつて長船平野の西部を分流していた。分布している低地の地名をつないで見ると元の河道が現れる(地図参照)。

吉井川の分流図

吉井川の分流図

 長船町長船地区(図の上部)は複雑に分流していた。中流域の中の流れには窪と久保の地名が集中している。窪と久保は同じで低地の意である。下流域はデルタ地帯で中島の地名が四ヶ所ある。これらの川は一本になって邑久町箕輪から山田庄、尾張を流れた(前項の「尾張」参照)。
 図中の「鹿崎」の鹿はスカの訛りで鹿に宛字されたもので、鹿崎は砂が堆積した先端の意であろう。「切戸」は文字通り切れた所で堤防が決壊した箇所である。「幸田」はカワタ(川田)の訛りで幸田に宛字されたものであろう。「木谷地」の谷地(やち)は低湿地の意。「ドウドウ」は水音の擬音語。「大竹」のタケは崖の訛りで竹に宛字されたものであろう。
 この川が多くの土砂を運び微高地を作り服部、土師の集落ができた。反面東部の西岡沖や福里沖は相対的に低地になり水はけが悪くなった。


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