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[瀬戸内市の地名と人々の営み]13.7.札場

札場

 延暦元年(七八二年)の太政官符に官符の内容を官庁や往来に掲示して、民衆に告知するように命じた指示が出されている。以後、武家政権でも同様の方法が取られた。
 これを最も良く用いて全国的な制度として確立したのは江戸幕府及び諸藩であった。
 高札制度の目的は、

 一.新しい法令を民衆に公示する。
 二.民衆に法の趣旨の周知徹底を図る。
 三.基本法である事を明示する(違反者は「天下の大罪」であるとして、違反者は死罪  などの重い刑に処せられることが多かった)。
 四.民衆の遵法精神の涵養を図る。
 五.民衆からの告訴(謂わば密告)の奨励(特にキリシタン札(切支丹札)などには高  額の賞金が掲げられた)。
 六.幕府や大名の存在感の誇示。

 などが挙げられる。(以上ウキペディアから引用)
 この高札が瀬戸内市内には、
 牛窓町鹿忍・牛窓町牛窓(二箇所)・牛窓町長浜・邑久町本庄・邑久町玉津・邑久町虫明・長船町磯上・長船町福岡の九ヶ所に掲げられていた。(『邑久郡史』を参照)

札場

 この内邑久町本庄(石仏地区)と長船町磯上(柏山地区)には札場の地名があり、磯上には「札場の跡」の看板が立てられている(写真参照)。看板に書かれている通り高札は牛窓(牛窓港)と片上方面を結ぶ道の傍らに立てられている。この道は交通量が多く現在の一級県道に匹敵し、飯井村の庄屋文書「手鑑」によると江戸中期ころには馬による運送業が営まれていた。邑久町本庄の札場もこの道の傍らであろう。
 他に高札ではない「札場」の地名が邑久町上山田・邑久町福谷・長船町飯井にあり、長船町西須恵に「札崎」の地名がある。
 現在の札場は庁舎前に設置されている公示掲示板である。


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