[瀬戸内市の地名と人々の営み]14.おわりに
おわりに
地名には国名、郷名、郡名、市町村名や大字・小字地名などがある。小字地名は住民の営みに必要な土地に命名され暮しを支えていた。言わば暮しのインフラであった。それは縄文時代の狩猟生活から山・谷・川などの地名は必要であった。
冒頭に書いたように推測が多い記事になったが、少しでも蓋然性の高いものにと思い書いたつもりだ。しかし偏見や誤解があることは免れない。
特に「牛窓」の項はその感が深いのだが類似の地名が少ないこともあって試案の範囲をでない。しかし「鵜島戸」という試案はそれなりに蓋然性があると思っている。ご感想を頂きたい。
記述にあたって『邑久町史』「地区誌編」付図の「字界図」、『牛窓町史』「通史編」付図の「牛窓町字図」および私が作成した「長船町小字図」を参照した。
本書に記述した地名は瀬戸内市内のごく一部に過ぎない。更に研究が必要である。例えば牛窓町長浜に「国塩」・「国塩前」・「塩ノ子」があり、牛窓町鹿忍に「国汐(くにしよう)」がある。共にかつての海岸に近く塩の大きな産地であった。これらの地名は製塩と関係があるのだろうか。また本文で難解地名「長船」を書いたが、更に「鹿忍」・「カベラ」(邑久町玉津と牛窓町長浜にまたがる地名)・「旦過」(邑久町百田と長船町福岡にある地名)など難解な地名があり解明が待たれる。
全国の各地に地名研究会が設立されているが当市にもそのような会が生まれることを切望している。