地名をキーワードにして地域の歴史を掘り起こすページです

[瀬戸内市の地名と人々の営み]7.1.備前国上道郡那紀郷

第七章 福岡

福岡周辺図

福岡周辺図

 福岡という地名を考える上で、当地域の古代からの歴史を見ておきたい。


備前国上道郡那紀郷

 『和名抄』に記載されている那紀郷の郷域は明確には分からないが吉井川右岸の岡山市東区吉井、同一日市、同西祖を中心にした一帯と推測されている。
 この地域は弥生時代から中世にかけて高度な文化が次々と展開した。最も著名なのは三世紀末か四世紀始めころ築かれた浦間茶臼山古墳である。墳丘の全長一三八㍍の大形前方後円墳で、前期古墳のなかで最大の規模をもつ奈良県箸墓古墳と同じ設計で、二分の一の大きさに築かれたとされている。古墳時代前期初めに築かれた吉備の古墳のなかで最も大きいだけでなく、その時期の古墳としては全国第四位で、大和・山城以外では最大の古墳である。
 更に前期古墳の一日市古墳群、吉井古墳群、矢井古墳群、浅川古墳群などがひしめいている。豪族が割拠し繁栄していた様が伺える。後期古墳は前期とは対照的に少ない。
 奈良時代後期に吉井廃寺が建立され寺域から平城宮式瓦や緑釉陶器が出土している。百枝月地区には弥生時代中期末ころの遺跡があり、銅鐸2個と破片多数が発見されている。
 当郷には備前国式内式外の古社一二八社のうち、浅川と西祖の境に福岡神社、吉井に石津神社の二社があり現在も氏神として祭られている。
 平安時代後期に郷内に福岡荘が立荘した。福岡が荘名になったのは当地域で福岡という地名がもっとも著名であったためと思われる。福岡神社の社名も福岡という地名に由来すると考えられる。
 特筆すべきは当郷は日本有数の刀剣の生産地で多数の名工が輩出した。鎌倉時代には福岡一文字で知られる刀工集団が生まれ、南北朝・室町時代には吉井・大宮両鍛冶が擡頭した。
 鎌倉時代に福岡荘の東部(岡山市東区吉井、同一日市、長船町八日市、同福岡、同福永、邑久町豆田の豆田河原付近)で福岡の市が開設され、山陽道随一の経済の中心地として繁栄した。
 江戸時代初期に福岡村(現長船町福岡)は地方都市的な在町(ざいまち)として繁栄した。


powered by Quick Homepage Maker 4.71
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional