[瀬戸内市の地名と人々の営み]7.5.福岡荘
福岡荘
荘園は奈良時代末頃から室町時代にかけて貴族や寺社が諸国に私有した土地のことである。『東寺百合文書』によれば、福岡荘は平安時代末期に近いころには成立していたようである。荘域は吉井川左岸の現長船町八日市、福岡、福永、邑久町豆田周辺と右岸の元那紀郷一帯と推定されている。
『東寺百合文書』の福岡荘に関係する文書の「吉井村内検目録」(建長元年〈一二四九〉)によると、同村には一宮、石津宮、常福寺、平安寺が建立されている。
一宮は律令時代にその国で第一位の神格をもつ神社であるが福岡荘に備前国の一宮があったことはない。住民が一宮と称したのは福岡神社が正一位福岡大明神と称されたことがあるから一宮は「一位の宮」の意かも知れない。
福岡神社、石津神社ともに本国総社本に記載されている古社である。石津宮は現在の石津神社で、先に書いたように両神社とも氏神として祭られている。常福寺、平安寺は現在はない。
これらのことから吉井村は現在の岡山市東区吉井よりずっと広い範囲で、福岡荘の中心部であったと推定できる。
したがって「吉井荘」になっても当然なのに、福岡荘になったのは吉井より産鉄地の地名福岡の方が大きな存在であったためと考えられる。